三好氏とは
三好家30年の興亡を記した『三好記』の冒頭に、「三好家の本名は小笠原成しか共、阿波三好郡を知行せし故、在名を名乗る」とある。
この三好記にある小笠原氏とは、新羅三郎義光の流れを汲む甲斐源氏小笠原長清を祖とする一族である。
長清は、承久の乱(1221)で、鎌倉幕府方の将として功をあげ、阿波守護に任じられた。乱後の貞応2年(1223)、長清の子の長経が阿波守護代として国入りし、阿波弥太郎と称した。
(中略)
阿波小笠原氏が三好氏を名乗るのは、本貫地三好郡に土着した長房から数えて9代目の信濃守義長からである。
築城年代については定かでないが、のちに三好氏の拠城となった芝生城は寛正6年(1465)を経た頃の義長の時代に築かれたといわれる。
義長を初代とする三好氏は、長之、之長、長秀、元長と続き、5代元長の嫡男として生まれたのが長慶である。
〔三日木 人著『新・三好長慶伝―龍は天道をゆく』より抜粋〕
三好氏略系図